かのやまさんのblog

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毎日がすぐに過ぎていくわけ

 毎度毎度ことあるごとに時間が経つのが速くなったなーと馬鹿の一つ覚えな感慨にひたっているのだけれど、実は体感だけではなくて本当に時間が過ぎていくスピードが速くなってきているんじゃないかと思うことがある。

 

 平日も休日も、朝起きて適当に過ごしているうちに日が暮れて、あっという間に零時をまわる。月曜日の朝に眠気をこらえ、今週は祝日も有給もないから5日続けて出勤かと憂鬱になっていたはずがあれよあれよという間に金曜日の夜になる。一昔前はあれだけ首を長くして待っていた給料日は首が伸び切る前に到来する。お預けが短いのは嬉しいけれど少し複雑な気分にもなる。そして気分はどうあれ貯金は増えない。

 

 一月二月三月四月と加速がついて五月六月七月八月になって暑さにへこたれそうになり九月十月の涼しさで息を吹き返したと思ったら十一月十二月で年が暮れていく。これはもう、気のせいだとか体感だけとかいう域を超えているに違いない。そんな目線で周りの人たちを見てみると、自分の考えが荒唐無稽な妄想ではないような気がしてくる。

 

 たとえば、同じ40歳でも数十年前と今とを比べると見た目からして全然違う。ファッションがどうとかではなく今の40歳のほうが肌艶もよく若々しい。2015年の40歳は1970年の28歳ぐらいの肉体なんじゃないだろうか。アスリートの選手生命も伸びて30代後半から40代の選手も多いし、小学生の基礎体力が年々落ちつつあるのも昔より成長しきっていないからだろう。

 

 この調子でどんどん時間が速く流れていったらどうなるのやら。そういえば筒井康隆の小説でそんな話があって、詳細は覚えていないけど最後は確か文字通り時間が濁流になってすべて流されて終わりじゃなかったかな。現実も同じように濁流になってしまうのか、もしかしたら気づかないままだんだん加速して、どこかの時点でSTOPして逆流し始めるのかもしれない。どっちにしても自分はなすすべもないからそれこそ時の流れに身を任せるしかないだろう。

 

 ・・・なんて考えていたけれど、セミは何百年も前からひと夏で死ぬ。人間の成長は時の流れに置いてきぼりでセミは世界と一緒に加速しているのもおかしな話だから、やっぱりこの話は荒唐無稽な妄想なんだろう。