かのやまさんのblog

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 ブログを公開している分際で言うのもなんだけど、昔っから感想や自分の意見を述べるのが苦手でしょうがない。

 

 小学生のころ、転校したクラスメートに手紙を送ることになり次の日までになんでもいいから書いて持ってくるという宿題が出たことがあって、特別仲が良いわけではなかった相手に手紙を書くのにものすごく苦労した思い出がある。積もる話もこれといって思い浮かばず、考えたあげくに今やっている授業の中身を列挙しただけの手紙を書いた。

 

「こんにちは。お元気ですか?今こちらではこんなことを習っています。

 国語・・・文と文とをつなぐことば

 算数・・・分数の足し算と引き算

 理科・・・月の動きと満ち欠け

 ・・・以下全教科

 それではお元気で」

 

 こんな進捗状況だけ送られても受け取った相手はリアクションの取りようがないだろう。学年が変わるまで3回ぐらい、この手紙を送る企画が続いたのだけど結局3回すべて授業の中身を箇条書きにした手紙を送り続けた。通信簿か。それから十数年が過ぎ退職される方に贈る寄せ書きでも同じような調子で、「今までありがとうございました。お元気で」で済ましてしまうことがほとんどだったりする。ちょっと前にこんな記事を書いたけど、小学校の頃にこの手の本を読んでたらどうだったろうか。読んでても変わらなかったかもしれないけど。

 

 書き直しの効く手紙や寄せ書きでこんな塩梅だから喋るときはもっと大変で、最初の一歩めからテンパっているような状態になる。かしこまった場所で話すときには出てこない上に緊張が加わりしどろもどろ。事前にメモを用意しているから大筋で間違ったことは言わないけれど気の利いた例えなどというものはどこかへ消えていき、ようやく完走というような体で話を終える。

 

 こんな感じでろくにアウトプットができないわけだけど、よくよく考えてみるとどちらも「自分のことしか見ていない」状態になっているのが根本かもと思うようになった。いらんことを書いたり言ったりしないようにということばかり気にしてしまうから考えがシャットダウンされてしまい、無難なことしか出てこないのかもしれない。そうと決まれば後は簡単で、多少無遠慮なことを言おうが気にしなければいいじゃない!となるはずなんだけど長年の習慣になってるから一朝一夕では事は進まず、結局今もまだ頭の中を白くしながら物を言ったり、迷いに迷って平凡な言い回しのメールを書いたりしているのでした。