かのやまさんのblog

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野球遍歴

 1975年生まれの男の子のくせに野球への関心はまるでなく、当然ながらひいきの球団なんてありもしない日々を過ごしていた。10歳のとき、つまり1985年に阪神が日本一になると小学校の男子連中の中でも阪神フィーバーとなり画用紙でTHマークの旗を作ってソーレカットバセバース!と一緒に盛り上がるようになったのだけどこの時もバースがどんな活躍をしたかは知らないまま、とにかく阪神のバースはすごいということだけで騒いでいた。と書いていると捻くれた子供のようだけどただ単に知見が無いだけで、そのくせ周りの雰囲気に乗せられている間の抜けた子供だったのだ。

 野球を良く見るようになったのは阪神優勝の数年後で、バースが球団ともめて退団した年だった。我が家は父親が巨人ファンだったため報知新聞を購読していて、当然のように一番触れる機会が多い巨人に関心を抱いていた。その後中学から高校にかけては友人の影響で阪神に宗旨替えとなった。ご存知のとおりこのころの阪神は暗黒時代に突入していてとにかく良いとこ無しだったので応援している身としては残念な日々が続いていた。しょうがないからファミコンやゲームセンターの野球ゲームで阪神を勝たせて喜んでいたりした。ところが、このゲームが原因でまた宗旨替えすることになる。

 ゲームの難易度なんて知れているのだけれど、それでもひいきの球団を勝たせたいために弱い相手をつい選ぶことが多くなる。駄目駄目だった阪神より劣っていそうな球団があるのか?それがあった。千葉ロッテマリーンズ阪神と同じく80年代後半から低迷していて、毎年5位か6位で収まっていた。まさにうってつけの相手である。

 

 そんなわけでゲームの時はひたすらロッテ相手に白星を稼ぐようになったのだが、何度も対戦しているうちに阪神と同じぐらいに詳しくなってきた。勢い、パリーグはロッテをひいきにするようになる。これが92年か93年ごろ。その2年後にバレンタイン監督となって2位となるとさらに入れ込みようがはげしくなり、日生球状や大阪ドーム、しまいにはマリンスタジアムまで観戦に行くほどになってしまった。そのあと何年かBクラスでくすぶっていたけど他に浮気をすることはなく、2005年に日本一になって喜んだり2010年に日本一になって喜んでいたのだけど、最近は少し熱が冷めてきて結果だけ見ているようなことになってしまっている。

 ちなみにこれまでロッテ戦を7回観にいって、結果は1分け6敗。友人と見にいった阪神戦は勝ち越しているのに、どういうことだろうか。